私はどうやってでも子どもが欲しかったけど、出来なかった子なしです。
高度な不妊治療も沢山しました。
県を超えての転院もしました。
世の中には「選択子なし」さんという立場の人もいます。
Twitterをはじめて気づいたのですが、選択子なしさんとの距離を感じることがあります。
今回はその心の距離について書いていきます。
選択子なしさん、DINKsさんについて
世の中には「DINKS」という生活スタイルの人もいます。
DINKsさんは「選択子なし」さんに入るのでしょうか。
ちょっと調べてみました。
DINKs(ディンクス)とは、「Double Income(共働き)No Kids(子どもを持たない)夫婦」を示す言葉です。自分たちの意思で「子どもを産まずに二人の生活を続けよう」と決めた夫婦がDINKsです。厳密には、何らかの事情があって子どもが欲しくてもできない夫婦はDINKsに含めません。
ということなので欲しくてできなかった私達はDINKsではないようです。
選択子なしさんはDINKsということみたいです。
子なしの生きづらさを見つめたら見えてきたこと
子どものいない夫婦の生きづらさを感じてはじめたTwitterとブログですが、同じ子どもがいないという形でも心持ちが少し違うように感じます。
私は寂しさを感じて始めたブログなので誰かを攻撃したり貶めあったりしたくありません。
でも心に距離があるとどうしても相手型を攻撃したくなるのが人間なのでしょう。
自分の心の具合の方を正当化したくなるという。
そんな時、私は選択子なしさんの発言に「どうしても子供が欲しかった子なしでごめんなさい」と思います。
私は何が何でも欲しかった。
「そもそもそんなに欲しくもなかった」そう思えたら少しは楽なのかな、と思うこともあります。
高度な治療にバカみたいにお金を費やした私達のことはどんな風にみえるのでしょうか。
諦めきれた子なしは偉い?諦めきれない子なしは弱い?
高度な不妊治療をした私達は痛々しいですか?
可哀想にみえますか?
子供が欲しかった、そう素直に口に出してしまう私達が鬱陶しいですか?
もしそうなら、鬱陶しくてごめんなさい。
でも私は自分のことを「諦めきれない気持ちを抱えてながらも生きている子なしは強い」と思っています。
結局何が言いたいかって?
そうじゃなくても生きづらい世の中、選択子なしと子なしを分断せず一緒に子なしライフを楽しみませんか?ということ。
あー、欲しかったなと時々言ってしまう「どうしても欲しかった子なし」に、どうか優しい目を。